京都石物語
第1話
旅人の墓標
鞍馬は京都市の北にあり、かつて若き日の源義経、当時牛若丸が天狗と武芸の修行をつんだと言い伝えられているところです。京都出町柳から叡山電車に乗って30分、静かな山間の終着駅のホームに電車はブレーキ音を響かせながら入ります。鞍馬駅です。牛若丸ゆかりの鞍馬寺山門まではここからわずか1分。そして川床で有名な貴船へは、鞍馬寺の山を向こう側へ降りるとすぐです。今回は鞍馬・貴船周辺の石とそれにまつわるお話をいたしましょう。
京都を代表する石といえば、私は「鞍馬石」を真っ先に挙げます。鞍馬石は表面が赤茶色に錆びていて、茶道の侘びさびの世界に欠かせないものです。中に穴をほってつくばいにしたり、石灯籠にしたり、また庭に敷いたり、縁側の靴脱ぎ石に使われています。表面の赤茶けた錆びは、風化によるものですが、鞍馬石に限らず、他の花こう岩でも見られます。しかし、この鞍馬石の錆びは他の花こう岩と違って、ほどよく錆びていて、完全に中まで錆びが浸透していないことが特徴です。それゆえに非常に価値のある石なのです。
私は京都府園部町瑠璃渓付近で赤く風化した花こう岩を採取してつくばいを彫ったことがありますが、風化作用は石の内部にまで浸透していて、非常にもろく、水を入れると吸い込んでしまうため、失敗してしまいました。その点、鞍馬石は表面から1、2cmほどだけが赤く風化していて、その内側はまだしっかりしているので、良質のつくばいを製作することができます。これが鞍馬石の良さのひとつなのです。鞍馬石で作られたつくばいは表面が赤く風化し、侘びさびの世界を思わせますが、中は風化せずにしっかりしているために、水は漏れません。程よい色で、程よく風化している石。絶妙な風化のバランスを維持しているのがこの鞍馬石なのです。
鞍馬石の学名は花こう閃緑岩といい、花こう岩の一種です。花こう岩と言ってもなんら問題はありません。花こう岩や花こう閃緑岩の類というのは、主に石英、黒雲母、長石という鉱物から作られる岩石です。花こう岩をルーペで見てみて、黒く平べったく、ぺらぺらとはがれるように見える鉱物は黒雲母といいます。これは黒い色をしているので、比較的簡単にわかる鉱物です。石英は透明感があって、灰色に見えます。灰色に見えるからと言って実際に灰色なのではなく、石英は透明度が非常によいので、岩石の中に埋め込まれていると、外からの光をほとんど通過させてさらに奥にある鉱物に吸収されて灰色に見えるのです。一方長石は白く見えますが、すりガラスのように、外からの光が中で乱反射して、乳白色に見えるのです。
正確なところ、花こう岩と花こう閃緑岩の違いというのは、中に含まれるカリ長石と斜長石という鉱物の量によって決められます。カリ長石が斜長石より多いものを花こう岩、少ないものを花こう閃緑岩と呼んでいます。さて、それに加えて鞍馬石と呼ばれている花こう閃緑岩には磁硫鉄鉱という金属を含む鉱物が含まれており、赤茶けた錆はこの磁硫鉄鉱が錆びて作られるものです。磁硫鉄鉱は鞍馬石の新鮮な部分を見ると金属片が入っているように見えます。
鞍馬石は鞍馬からさらに北の山の中、桃井谷というところで採石されます。非常に高級な石で、近くの石屋さんへこの石を見に行ったところ、片手でもてるくらいの小さな鞍馬石が、なんと6000円もするそうで、びっくりしました。この石屋さんは鞍馬寺から街道沿いにさらに数十メートル行ったところ、右側にあります。鞍馬石が所狭しとつんでありますから、関心のある方は行ってみてください。
鞍馬石は表面の赤錆の他に、丸い形をしているのも大きな特徴です。丸いからこそつくばいを作るのに適しているのです。花こう岩類というのは地下でマグマが数百万年かけてじっくり冷え固まった岩石です。ほとんどの物質は冷えるときに体積が縮みます。鉄でも銅でもロウソクのロウでも、熱く溶けた状態から冷やすと体積が縮むのです。ハワイのキラウェア火山にあるキラウェアイキという火口には1959年の噴火で120mもの深さで溶岩がたまりました。それから41年後の2000年9月に私はその火口の底をあるいてみました。溶岩が冷えて固まるときに体積が縮んだため、火口底が周辺部より6mも陥没していて、大きな段差ができています。このようにマグマは冷えて液体から固体に変わるときに体積が縮むのです。花こう岩がマグマから冷えてできるときも、体積が縮みます。体積が小さくなるとき、花こう岩はどうなるのかと言うと、まるで鋭利な刃物でまっすぐに切ったように平らな面を作りながらサイコロ状にひび割れるのです。これを方状節理といいます。花こう岩が風化するとき、この節理と呼ばれる割れ目に水などが浸透して、まずは節理の部分から風化していきます。節理の中でもとくに節理同士が交差している部分、つまりサイコロの角っこの部分は特に風化が早く進みます。するとどうなるのかというと、サイコロの角が丸くなって、それで丸いボールのような花こう岩ができるというわけです。うまいぐあいにたまねぎの皮がむけるように、べろべろとはげおちる場合もあり、このように丸く風化することを「たまねぎ状風化」と呼んでいます。
鞍馬で有名な石はもうひとつあります。本鞍馬石というもので、これは鞍馬寺山門の石段に使われています。鞍馬寺を訪れるときはこの石段の石をよく眺めてから山を登るようにしてください。先ほどの鞍馬石とは少し違っていて、本鞍馬石は斜長石と、石英、角閃石の3つの鉱物からできた石です。黒く見えるのが角閃石。長細い形をしています。先ほど紹介しました黒雲母と違って、角閃石はぎらぎらと光る光沢やぺらぺらめくれる性質がありません。少し曇ったような光沢です。斜長石と石英は先ほど説明したとおりです。
寺へ行く道のところどころでこの本鞍馬石が使われています。鞍馬寺山門前を通る鞍馬街道を山奥へ数百メートル行くと、右側に鞍馬温泉があります。本鞍馬石はこの鞍馬温泉の裏の山にあります。この石を見に山に入ろうとすると、入り口に警備員がいて制止されます。鞍馬温泉には露天風呂があって山のほうに向いているので、入れてくれないのです。
さて、鞍馬寺本堂でお参りしましょう。本堂は山の上にあるため急な斜面を登らなくてはいけません。しかし足腰の弱い方にはケーブルカーという強い味方もあります。本堂へ行く途中の崖に緑色の岩肌が露出しています。緑色岩といいます。海底で噴火した玄武岩や玄武岩質の火山灰などをまとめてこう呼びます。緑色をしているから緑色岩というのですが、緑色をしていない緑色岩もあります。貴船でそれを見ることができます。
本堂でお参りをすませたら、左手にある鞍馬山のさらに山奥へ続く歩道へ入っていきましょう。その歩道を200mほど行くと霊宝殿という博物館があります。鞍馬周辺の自然を紹介した展示や鞍馬寺の宝物が展示されていて興味深いところです。これから山を越えて貴船へぬけますが、その道中で見られる石たちが展示されていますから、どんな石が見られるのか、どうしてこれらの石がそこにいるのかを予習してから、山道を進むことにしましょう。
鞍馬山を貴船へ抜ける山道には露出している岩石の説明が書かれた看板がところどころに立てられています。その看板を見たら、周囲の石を手にとって見て見ましょう。
峠までは砂岩や泥岩、チャートが見られます。砂岩、泥岩はその名のとおり砂と泥でできた石で、砂岩は粒が粗く、泥岩は目に見えないくらいの小さな粒の泥でできています。泥岩はぺらぺらとはがれそうな性質を示すものは、本のページのように見えるので、頁岩とも呼ばれています。チャートはカタカナ語なので、名前を聞いただけではどんな石か想像がつかないでしょう。これは水晶を作っているのと同じ物質である、二酸化珪素という物質を殻にもつ放散虫という生物の死骸が海底に降り積もって後に岩になったものです。顕微鏡でチャートを見ると、この放散虫が見えます。
チャートは非常に硬い石で、かつて火打石につかわれていました。私はある人がチャートの火打石で火をつけてタバコをすっているのを見たことがあります。いきなりポケットから石とヤスリを取り出したので、いったい何をするんだろうってみていました。ヤスリを左手に、チャートを右手にもって、カンカンカンと打つようにすばやくヤスリでこすると火花がちり、それが綿のようなものに燃え移ってタバコに火がつきました。こんなに簡単に火がつくなんて思ってもみませんでした。
チャートは表面に植物の根っこのような美しい模様がみられます。それは石英脈というもので、チャートが海底で堆積したあと、地中に埋まると熱と上から押さえる力で圧縮され、粒と粒の間を埋める接着剤の役割をする物質が浸透し、続成作用という硬い岩石を作る作用を受けます。砂岩も泥岩もこの続成作用によって粒がくっつきあい、岩石になります。チャートが地下深いところで熱と圧力により続成作用を受けるとき、含まれていた水に二酸化珪素が溶けてそれが堆積したまだやわらかいチャートに割り込むように岩石の外へと逃げだします。このときに割れ目を埋めるのが石英脈です。
チャートの成分は石英と同じ二酸化珪素ですが、石英は二酸化珪素の分子が規則正しく並んでいて、一方チャートは規則正しく並んでいない二酸化珪素か、すごく小さな石英の粒からできています。石英のように分子が規則正しく並んでいるものを結晶といい、チャートのように不規則なものを非結晶質と呼んでいます。
さて、人汗かいて峠まで上ってきました。ここからは貴船まで下り坂です。峠には木の囲いがあり、となりの立て札に義経公背比べ石とあります。義経は京都の五条大橋で弁慶と闘ったという話があります。義経は賢いですから、弁慶のような大男とまともに闘っては勝てないと見て、最初は逃げるだけで弁慶を疲れさせたのです。義経は小柄ですから、少々のことでは疲れません。弁慶が追いかけるのにへとへとに疲れたところを、えいやっと打ち込み、弁慶はあっけなくやられたという話です。この背比べ石は義経公が鞍馬を離れて欧州へ旅立つ際に背比べをしたということですが、本当にこんなに小さかったのでしょうか?
ここから坂を下ってほんの100mも行かないうちに左右に赤土が見えます。この赤土の表面に丸い石が見られます。それは石英閃緑岩がたまねぎ状風化したものです。ただし、風化は中まで浸透していて、鞍馬石のように良い石とはいえません。
岩石が露出していないところがしばらく続きます。そして魔王殿というお堂まで山を下りましょう。魔王殿の周辺には一風変わった灰色の石が見られます。よく見ると表面に米粒のようなものが浮き出ています。これらの石は石灰岩と言います。そしてこの米粒状のものはフズリナという生物の化石です。石灰岩は浅い海に棲んでいたサンゴや貝、フズリナなどの石灰質の殻をもった生き物が岩石になったものです。石灰質といってもピンと来ないかもしれませんね。石灰質の「灰」というのは、カルシウムを表します。貝殻やサンゴのように炭酸カルシウムで作られている物質をさします。炭酸カルシウムに塩酸をかけると二酸化炭素の泡をだして融けてしまいます。
雨は雲から地上へ落ちてくるときに、空気中の二酸化炭素を吸収します。二酸化炭素が雨水に溶けると雨水は酸性に変わります。水は結構二酸化炭素を吸収するようで、薬局で買ってきた蒸留水はBTBという試験薬でも中性を示すのですが、雨水をBTBで調べるとやはり酸性を示します。酸性になった雨水が石灰岩にふりそそぐと表面が溶けます。融けて流れていってしまいます。融けた石灰岩は芸大か美術館にありそうな彫刻のように、角が丸くなっていて、融けたってことがすぐにわかります。ところどころ鋭利な刃物で切りつけたようなまっすぐな溝が見られます。牛若丸(後の源義経)がつけた刀傷と言われています。この溝はカレンといって、石灰岩特有のものです。フズリナなどの化石の部分はどうも酸にわずかに強いようです。そのため石灰岩の表面に米粒状に浮き出ているのです。
魔王殿からさらに山道を貴船のほうに下ると、天狗の顔のような岩に出会います。天狗の顔からくちばしが出ているように見えます。この岩も石灰岩で、くちばしのように見えるのはここにもカレンが出来ているからです。
ここからもうしばらく山道を下ると貴船の旅館街や川が見えてきます。山道は石段に変わりますが、よくよく石段の石を見ながら歩いてみてください。本堂の手前でさっき見た緑色岩が石段のところどころに使われています。大勢の人が歩いて石の表面をきれいに研磨していくので、ぴかぴかになっているのもあります。小雨が降っているとき、この緑色岩は非常にきれいです。よく見ると緑色の岩肌にさらに濃い緑色の粒が入っていることがあります。ヨモギモチにそっくりなので、山歩きをしたあとにその緑色岩を見ると、おなかがすいてきます。ヨモギモチみたいにみえるので、「貴船よもぎ」と呼ばれています。うまく名前をつけたものです。
貴船に到着です。貴船神社の境内では大変おいしい水がわきでています。健康に良いのだそうです。ほんまかいなとうたがってみたくなりますが、私は本当に健康に良いと思います。というのは、石灰岩の中を流れてきた水はカルシウムが多く含まれているからです。癌にも良い水です。麦飯石の水という健康に良い水がありますが、これは花こう岩類の岩石が適度に風化していて、中に含まれる長石のカルシウムが水に溶け出してよい水を作るようです。それに京都市の北西に位置する亀岡市には出雲大社という神社がありますが、そこから湧き出る水も名水と呼ばれており、その地域では石灰岩が産出します。「石灰岩地帯の水は健康に良い」というのは私の勝手な説ですが、いかがなものでしょうか。
さて、貴船神社でお参りを済ませて、つぎに道路を山の奥のほうへ向かって歩いていきましょう。奥の院というところに向かっていますが、このあたりは夜はあまり行かないほうが、、、、、、というのは、うしの刻参りをしている人がいるのです。うしの刻参りというのは、つまり、あれ、わら人形に誰かの名前を書いて釘で木に打ち付ける呪いです。奥の院周辺の杉の木は釘の穴がたくさんあいています。神社の方が頻繁に見に来て、ワラ人形が釘付けされているのと発見したら、すぐに取り除くのだそうです。それでもわら人形を釘うちにしにくる人が絶えないのだそうです。よくよく注意して、とくに木の裏のほうとか見ると、神社の方に発見されなかったワラ人形が残っているときがあります。私は大きな木の裏に1つ見つけたことがあります。はずしてやろうかと思いましたが、めんどくさいので、ほうっておきました。
余談はこれくらいにして、奥の院の200mほど手前には最近できた新しいトイレがあります。そのトイレの前には「つつみヶ岩」と言う岩があります。枕みたいな形をしていますから、枕状溶岩と言います。これは水の中で溶岩が噴出したときに、水に接するところが急に冷えて固まり、枕のような溶岩ができたものです。
さて、今まで歩いてきた中でチャートといい、石灰岩といい、この枕上溶岩や緑色岩、砂岩泥岩など、海の中で作られた岩石ばかりだと思いませんでしたか。こんな山奥に海の石が出るなんて、いったいどういうことでしょう?
実は最新の科学ではこのあたりの岩石はもともと南の方の海の中にあったというのです。それを簡単に説明するとこうです。地球の表面はプレートと呼ばれる薄い岩盤で覆われています。京都はユーラシアプレートというプレートの上にあります。そしてここ鞍馬貴船周辺にある岩石はもともとは太平洋プレートという太平洋の海底を覆っている岩盤の上にあったものなのです。太平洋プレートというのは年間10cmという爪や髪の毛が伸びるくらいの速さでゆっくりゆっくりと日本列島の方向へ動いています。太平洋の大部分の海底を覆う大きな岩盤が動いているなんて、本当におどろきですが、人工衛星による観測で本当に動いていることがわかっているのです。これらのチャートや石灰岩、緑色岩と言った岩石は太平洋の海底で作られました。枕状溶岩は海底で火山が噴火したときに水中に噴出したマグマによって作られ、また同時に緑色岩も作られます。その後火山島ができて、周りにさんご礁が作られます。そのさんご礁が後に石灰岩に変わります。チャートは島とは関係のない深海底で降り積もった珪酸質の生物の死骸が降り積もってできます。それら海で堆積した岩石は太平洋プレートにのって、まるでベルトコンベアに載っている土くれみたいに日本列島にやってくるのです。ところが太平洋プレートというのは日本列島の1歩手前の日本海溝で日本列島の下へもぐりこんでいます。工事現場のベルトコンベアもそうですが、ベルトコンベアの端っこでは上に乗った土くれは落とされて積もっていきますね。それと同じように、日本列島で終点を迎える太平洋プレートはそこで上に乗っていた島とか岩石を落としていくのです。というか、日本列島にそぎ落とされるのです。このように海底にあったいろんな岩石が日本列島にぐいぐいと押し付けられるようにして、鞍馬や貴船の山々が造られたのでした。
実は今は太平洋プレートは途中で切れて、フィリピン海プレートという小さなプレートになっています。
数億年前、南の海の海底で噴出したこの枕状溶岩は何千キロもの旅を続け、そしてやっとこの地にたどり着き、今はつつみヶ岩と呼ばれているのでした。この岩は旅人の墓標だったのです。
京都石物語・第1話−旅人の墓標−
京都地学名所めぐり
鞍馬石の地球科学的説明 地学 京都の石
鞍馬石のつくばい、そげいしに関しては
ぎおん石へ
京都地学名所めぐりのもくじへ
地球おどろき大自然のトップページへ