知床硫黄鉱山の歴史

大阪市立自然史博物館外来研究員 山本睦徳

第二鉄索と周辺
カムイワッカ湾は、かつて硫黄鉱山の中心地であった

ウトロから出ている硫黄山コースの遊覧船に乗ると、カムイワッカ湾に行ける。湾内では、カムイワッカの滝を見ることができる。かつてここは日本特殊鉱業が経営する日本有数の硫黄鉱山の中心地であった。浜辺には、鉱山関係の建物が建ち並び、硫黄鉱石を蓄えていた貯鉱場があった。崖の上には、カムイワッカ川に堆積した硫黄を運搬した第一鉄索の駅、硫黄を噴出した1号火口(現在の新噴火口)周辺に堆積した硫黄を運搬した第二鉄索の駅があった。「鉄索」とは、「索道」とも呼ばれ、鉱石を運ぶためのロープウェイのこと。船の上からは、第二鉄索の駅があった石垣を今も見ることができる。

手付かずの自然が残っていると思われがちな知床だが、かつては日本の1年分の硫黄消費量に匹敵するほどの埋蔵量を誇った硫黄鉱山であった。かつてここで起こった産業の歴史に思いをはせて、現地を訪れてみてはどうか。 (20220118)




貯鉱場に蓄えられた硫黄は、その後船に積み替えられて出荷された。


カムイワッカの滝のそばには、鉱山事務所など多くの建物が軒を連ねていた。


他の鉱山(松尾鉱山?)の索道の例。左に写っている「搬器」に鉱石を乗せて運搬していた。残念ながら、知床硫黄鉱山で使われていた索道の搬器の写真は見つかっていない。


付近の山林で見つかった直径約29cmの滑車。索道のケーブルを支えていたものと考えられる。


第二鉄索の駅跡。現在は、石垣とコンクリートの台座が残っている。火口付近に堆積した硫黄を運搬するために、1938年から半年ほど使われた。運搬した硫黄は、ここで降ろして海岸の貯鉱場に落とした。ここへは、知床硫黄山登山口から車道沿いに120mほど進み、海岸の方の笹薮に入って鉱山時代の道沿いに下っていくと行くことができる。


石垣の上には、コンクリートの台座が残る。台座の一辺は、磁北方位128度の方向を向いていてそれはつまり、登山口がある谷の方向に一致する。その方向にケーブルがのびていたことを示唆している。しっかりと地面に据え付けられたこのコンクリートの台座で、ここから火口の方へとのびる1.4kmにも及ぶケーブルと、鉱石を積んだ搬器の重量を支えていたのであろう。

第二鉄索駅跡の石垣からの海岸の長めは素晴らしい。遊覧船で訪れるときに見るカムイワッカの滝を横から見ることができる。1936年の噴火では、1号火口(新噴火口)から湧き出した大量の温泉によって、砂礫状の硫黄がカムイワッカ川を押し流され、湾内の海底に堆積した。それは吸引機を取り付けた船で集められた。それ以上硫黄が海へ流出しないように、カムイワッカの滝の下には石垣と柵が設けられた。それは今も残っていて、この写真で見ることができる。写真中央少し下の浜辺には、鉱山事務所などの建物が建ち並んでいた。さらに東側(写真右下)には、火口付近やカムイワッカ川から索道で運搬した硫黄を蓄えた貯鉱場が設置されていた。集められた硫黄は、そこから船で出荷された。
ここから2kmほどウトロ側のイロイロ川河口周辺では、タコ労働者が寝泊まりしていた「タコ部屋」が置かれていた。だまされて各地から連れてこられた人たちが、ここで監禁されていた。当時陸の孤島であったこの地では、治安当局の目が届かず、強制労働が行われ、多くの命が失われた。


カムイワッカ湾を眺められる第二鉄索駅跡に行くには:
カムイワッカから登山口に向って車道を500mほど歩く。登山口を通りすぎ、さらに120mほど歩く。ガードレールの切れ目付近の笹薮の中に入っていくと、鉱山時代の道が見える。道に沿って斜面を下っていくと、第二鉄索駅跡の石垣が見えてくる。石垣の上には、柵が無くしかも柱穴がいくつも開いているので、転落したりケガをしたりしないよう注意してほしい。