六里ヶ原の基点観音と道しるべ観音

浅間山 地球科学

 浅間山の北側の麓は江戸時代交通の要所であった。天明3年の浅間山大噴火によって、このあたりは火砕流が流れ、土地は荒廃し、交通の難所となった。

 1808年旅人の苦労を見かねた分去茶屋の助四郎の提案によって、六里ヶ原の道しるべとして観音仏が作られ、基点観音を中心に沓掛、大笹、狩宿の3方向にそれぞれ33体ずつ110mごとに設置された。100体あった観音仏は長い年月の間に姿を消したが、残ったものが桜岩地蔵堂境内に集められて町の指定文化財となった。
 

 以上、長野原町教育委員会設置の看板の要約

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