浅間山観光の主なコースになっている有料道路、浅間白根火山ルートから浅間山を見上げると、右側(北側)に何やらハシゴのようなもようが見える。これが鬼押出しと呼ばれる溶岩流で、天明3年(1783年)の大噴火の際に流れた溶岩だ。この溶岩が斜面を下ったところに火山博物館がある。溶岩流が斜面を流れ下って、比較的平坦な山ろくまできて流れがゆるやかになったようすが想像できる。
溶岩流の両端が少し盛り上がっているが、これは溶岩堤防と呼ばれている。溶岩の流れの両端は元々の地面や空気に触れて冷えやすく流れにくい。それに対して溶岩流の中央の部分は冷えにくく比較的流れやすい。そのため、溶岩流の中央部がながれ去って、両端の部分は固結(冷え固まること)して堤防状に残る。
溶岩流の内部の方に見えるシワは溶岩じわ。図を参照。
溶岩流の末端は急な傾斜の崖になっている。これを末端崖と呼んでいる。
前述のように鬼押出し溶岩流は山体の傾斜を流れ下って平坦な場所へくると、流れが緩やかになる。その部分が舞台のようになっているのが、写真からもわかる。そして鬼押出しの末端崖の下を右へたどっていくと、別の舞台のようなものが目に留まる。これは1108年に流れた溶岩流で、上舞台溶岩という。これもやはり右側に末端崖をもっている。
鬼押出し溶岩流は天明3年の春から夏にかけてつづいた一連の噴火の最後の活動である鎌原火砕流の直後に流れ出したらしい。当時の様子を記録した文献に鬼押出しのことは載っていないのだという。つまり、鎌原火砕流とその熱泥流があまりにも巨大だったため、鬼押出しは目立たなかったのだ。火砕流の被害があまりにも大きかったため、鬼押出しは注目されなかった。この溶岩流はこっそりと火口から出てきたのだ。
鬼押出しは全長が5km、幅は最大2kmに及ぶ巨大な溶岩流だ。しかし、大は小を兼ねるという言葉がちょうど当てはまるように、キラウェア火山の長さ数メールのパホイホイ溶岩の支流もこれとよく似た形状をしている。参考までにキラウェア火山のページを見てほしい。
図1:鬼押出し溶岩流
図2:鬼押出し溶岩流の説明
図3:鬼押出し溶岩流と上舞台溶岩流
図4:上舞台溶岩
図5:浅間山から鬼押出しと上舞台溶岩を見る。上舞台溶岩は流れてから900年も経っているためか、上面が滑らかで、植物が茂っている。