図3:大小さまざまな大きさの岩片が含まれている。これを淘汰度が悪いという。
※粒がそろっているときは淘汰度が良いと表現する。
図2:片蓋川(黒豆川)の川底
現在工事中
普段水が流れていないこの川の底は吾妻火砕流の堆積物により作られている。写真では赤い部分が見られるが、これはちょうど火砕流堆積物のもっとも上の部分を見ており、高温の火砕流が空気に触れて酸化して赤くなった。
浅間山
国道146号線から片蓋川へ入る
火砕流とは、マグマが粉々にくだけた断片(本質岩片という)とガスとが数百度という高温の状態を保ちながら一体となって火山体を駆け下る現象で、流れるにしたがって途中にある土砂を巻き込んでいく。非常に破壊的な活動で、このページで扱う吾妻火砕流の翌日に発生した鎌原火砕流では鎌原村で多くの犠牲者が出た。吾妻火砕流は1783年8月4日(新暦では7月7日)に発生し、北東の山ろくに流れ下ったが、人家まで届かなかったために被害はでなかった。現在、黒豆川(下流では片蓋川)で吾妻火砕流の際に堆積した露頭(地層)を観ることができる(上の地図の赤丸地点)
国道146号線は片蓋川と交わっている。そこから片蓋川に入るとこの露頭を川底に見ることができる。現在砂防工事が進んでいる(自然のままほっとけばいいのにぃ!)川といっても普段水はまったく流れていない。右の写真を撮影したときは雨が結構きつく降っていたが、それでも水が流れていなかった。雨粒は地面に落ちるとすぐに吸い込まれていく。保水性がわるい地層なのだ。
川底に少し掘られた溝があり、そこで吾妻火砕流の露頭を見ることができる。パワーショベルで削られているために、露頭の新鮮な面を観察することができる。
露頭の中には直径数ミリから数十センチまで、さまざまな大きさの岩片が含まれる(淘汰度が悪いという)。このようにさまざまな大きさの岩片が含まれているのは、陸上で堆積する火砕流の特徴のひとつである。
含まれる岩片をよく観察すると、周囲が黄色から赤色に縁取っている場合が多い。さらにこの岩片の内部は多数の小さな穴が開いていることに気が付く。この小さな穴はマグマの中に溶けていたガスによるもので、噴火によって圧力が低い空気中に放出された際に、ガスとなって現れてこれらの穴を作った。このマグマの岩片は「本質岩片」といい、非常に高温であったため、周りの空気に触れて表面が酸化した。赤黄色の縁取りはそうして酸化した部分である。
有料道路付近の露頭
片蓋川の上流部分で、有料道路付近では吾妻火砕流の露頭の断面を見ることができる。図5の写真がそれで、層の厚みはこの場所でちょうど1.5m程度である。火砕流は非常に高温であったため、ここでも空気に触れた表面の部分は赤く酸化している。写真にある露頭の上部に赤い部分が見られる。
手前にひとかかえもありそうな岩がいくつも転がっているが、これは露頭から割れて落ちたものだ。その割れ方に特徴があり、節理という特有の割れ目にそって割れている。節理はこの場合火砕流堆積物が冷却する際に、冷却面に対して垂直に走る割れ目だ。この場合、地層の上面が空気に触れて冷やされるため、それが冷却面となる。その面に垂直に割れ目が走る。よってこの下に崩れ落ちた柱上の石は一旦が露頭にあったときの上面にあたるので、赤く酸化している。
火砕流の一部として流れて来たマグマである本質岩片は、空気に触れて急冷されてできた黒い縁どりが見られる。
火山は化粧をする
覆い隠される吾妻火砕流
図7にあるように、吾妻火砕流の露頭は火砕流発生から220年経った今、すでに木々に覆われて、人間の目から遠ざかりつつある。人間の歴史では220年は長い年月なのかもしれないが、地球の歴史では220年という時間はほんのつい数秒前の出来事なのだ。
浅間山の火砕流は吾妻火砕流や鎌原火砕流だけではなく、他にもたくさんの火砕流が発生したことがわかっている。火砕流の脅威はなくなったのではない。これからも火砕流は発生し続けるだろう。そのことを私たちは忘れてはいけない。
吾妻火砕流
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図5:黒豆川の有料道路付近の露頭
舞台状になった部分が吾妻火砕流の露頭で、上部は赤く酸化している。手前に崩れ落ちている岩は火砕流の露頭から節理にそって割れておちたものである。
図4:赤く酸化した火砕流堆積物と火砕流発生のときに噴出したマグマの断片である「本質岩片」(写真中央)。
図6:吾妻火砕流の本質岩片
高温のマグマの岩片が火砕流として流れてきたもの。周囲は空気に触れて冷やされて、急冷されて黒く縁取っている。内部はガスで多少発泡している。スケールは1目盛りが1cm。
図7:覆い隠される吾妻火砕流
吾妻火砕流が流れたのは1783年7月7日のこと。すでに220年以上の時間が経った今、露頭は木々に覆われて、だんだん判らなくなっている。しかし火砕流の脅威はなくなったわけではない。私たちはそのことを忘れてはならない。
図1